パウロのとげ

 しかしヤコブは腿(もも)を痛めて足を引きずっていました。弱さを持つ人間になったのです。それゆえ今、自分の力でなく神様に頼る人生になりました。恵みによって生かされる、神のものとなったのです。新しい朝を迎え、新しい人生を歩み始めたヤコブが一つの弱さを持つようになったように、パウロも、思い上(あが)ることがないように一つのとげが与えられました。使徒パウロは、コリントの信徒への手紙の中で、「自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。」(?・12:5)と言っています。彼はいつも自分を苦しめる刺(とげ)がありました。弱さがあったのです。パウロはそれを取り除いて下さるように三度、神様に願いました。その時、神様から言われたのです。「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(同9節)。そこでパウロはこのように告白します。「私は弱い時にこそ強いのです(同10節)。もはや自分の力で生きる人間ではなく、主の力によって生きる者となったのです。 パウロは名門の家庭に生まれ、当時有名な先生のもとで学び、最高の学問であったギリシャ哲学にも精通していました。又、律法を熱心に守っていた宗教人であったのです。パウロユダヤ人でありましたが、特別な権利のしるしであったローマの市民権を持っていました。いわば当時の人々が欲しがるすべてのものを持っていたといっても過言ではないでしょう。しかし主イエス・キリストに出会った時にそれが誇りではなく、むしろ主から与えられた棘(とげ)、その「弱さ」が誇りであるということを知ったのです。棘(とげ)がある人間になったパウロを、主は、イエス・キリストの福音を宣べ伝える者として選び、用いて下さるようになったのです。