神を見ず、人を見る罪

 夜中の出来事を知らず、大祭司と仲間達は再び議会を招集して使徒達を引き出そうと牢に人を差し向けましたが、牢は空(から)であるとの報告が届きました。彼らは「どうなることかと、使徒達のことで思いまどい」(24節)ました。つまり自らの行為の正当性についての確信はなく、自分達の力を超えた現実を目のあたりにして途方に暮れたのです。彼らはこの時、自分達の伝道禁止命令が神によって破られたことを認めるべきでした。にもかかわらず大祭司とその仲間達はかたくなになり、神様の前に立ち帰ろうとはせず、使徒達の再逮捕に向かいました。しかし、民衆の反感を買って石を投げられることを恐れ(民衆は使徒達を称賛していた)、使徒達を乱暴に扱う事も出来ませんでした。ここでも彼らが神の前ではなく、人を見て行動していることが明らかにされます。