「安息日」の本来の意味

 「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」イエス様は人々にこう問われました。「安息日には『善』が行われ、『命』は救われるべきもの」という答えは明白でしたが、そのことを公けに言い表す勇気・素直さを持つ人は、一人もいませんでした。イエス様は怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみました。ファリサイ派の「自分達の考えに捕われる自己中心性」・「闇の中で画策する不正」、人々の「神様の本性である『善』や『命』や『正義』を知りながら、公然と言い表せない臆病さ、沈黙で逃げるずる賢さ」・・。これらはすべて神様側と全く逆の「悪魔の特性」です。イエス様を信じる私達は、「神様の御心を尋ね、御言葉に従う意志を持ち、信仰を公然と告白し、恵みとして与えられる神様の愛を感謝し、救いの御業を賛美し、何が神様に喜ばれることなのか、祈り求める」。そのような特性を持つ神様側に入れていただいています。一方的に与えられた恵みを心から感謝したいと思います。