宦官は熱心に求めていた

 驚くべきことは、彼がエルサレムに礼拝に行った帰りであったことです。つまり彼は自分の国の宗教ではなく、天と地を創造した唯一の神様のこと、そしてモーセ十戒などの律法について触れ、信じる者とされていたのです。更に彼は、エチオピア(今のスーダン)から遠いエルサレムまで礼拝に行くほど熱心でした。ここに、救いに至る一つのプロセスを見ます。それは、どんな環境に生まれても真剣に熱心に宗教と向き合う時に、真実へと導かれるということです。宗教は人間の生きる意味・生き方・価値観・死の問題等に深く関わり、その人の人生を決定します。
宦官は礼拝からの帰途、イザヤ53章を朗読していましたが、理解出来ませんでした。そして彼はその意味を知りたいと願っていたところでした。