「・・その家にとどまりなさい」

 ある家に入ったら、そこにとどまるように命じられています。宣教が予想したほどすすまない時、何らかの理由をつけて場所を変えるならば、宣教活動に本腰が入らないからでしょう。とどまるということは宣教の拠点を置く(私達でいえば教会)ことです。その一方で、「迎え入れず、耳を傾けようともしない所があったら、そこを出て行く時、彼らへの証しとして足の裏のほこりを払い落しなさい。」(11節)と言われました。宣教が「聖なるもの」であり、神を受け入れない汚れた土地とは何の接点もあってはならないからであり、福音を伝えた後のことは、聞く側の責任であるということです。私達キリスト者は、一人一人が福音伝道者だといえます。神様の救いの働きに参加させていただいている恵みを感謝し、今週も、主の教えと歩みを思いつつ、過ごしてまいりましょう。