旧約聖書の礼拝

 礼拝が、神を拝み、神に奉仕する礼拝であるということは、旧約聖書からの伝統です。礼拝が、礼拝し、奉仕することであるということは、(ギリシャ語からへブル語に遡って調べていただいた結果)32箇所の記述があり、この32箇所の中に一箇所だけキリストが言われたことに似ています。31箇所はすべて、天地創造の主なる神以外の他の神、自然物、その他、偶像を礼拝したり、仕えてはならないという禁止や否定形です。ただ1箇所だけは、「あなた方は、自分の神以外を礼拝しない(=自分の神だけを礼拝する)。自分の神以外に仕えない(=自分の神だけに仕える)。」と、バビロン捕囚の時、ネブカドネツァルがユダヤ民族をほめています。これらが、旧約聖書における、礼拝し、奉仕するという言い方です。旧約聖書の、例えば十戒をみますと、「父と母を敬え」以外はすべて「すべからず」です。他の神々を拝んではならない。偶像を作ってはならない。盗んではならない、・・等です。このように、旧約聖書は否定的表現をしているのに対して、主イエスキリストの礼拝についての言われ方は、「主なる神を礼拝し、伏し拝み、それに仕える、奉仕する。これが礼拝である」と、積極的です。こういう違いがあるように思います。