「話してはいけない」

 イエス様の「エッファタ」との御言葉により、耳と舌に障がいを持った人は、たちまち耳が聞こえるようになり、話せるようになりました。この後イエス様は人々に「誰にもこのことを話してはいけない」と口止めされました。しかし人々は、「かえってますます言い広めた」とあります。なぜでしょうか。それは、自分は素晴らしい奇跡を見た!と自慢したい気持、その出来事に酔いしれたい気持が優先されたのではないでしょうか。人間は何かに熱狂したいものです。私達は、心の中に空しさを含む穴があると、何か手近なもので埋めようとします。その空しい穴は、本来神様が住まわれるところです。ところが人は、奇跡など強い感情を伴う出来事を体験すると熱狂し、すぐ人に伝えたいという感情に捕われます。「熱狂」は、一時的な感情で、彼らの中からイエス様に従う者や、十字架の裁判時にイエス様を助けようと働く者は出てきませんでした。「熱狂」に基づくイエス様の人気が大きくなることは権力者達を敵に回し、更には「神の国の福音」を広められるイエス様の働きを妨げることになったでしょう。「誰にも話してはいけない」とのイエス様の言葉に逆らって話すことは、人間の領分を越えて罪に陥ることです。アダムとエバが神様の禁止命令を守れなかったことから、人間は罪の世界への堕落が始まりました。イエス様が求めておられるのは「主の言葉に従う者」です。