「福音のためなら、私はどんなことでもします。」(一コリント9:23)

 パウロの考えからすれば、この提案・・すなわち四人の誓願者と共に神殿に行き、清めを受け、彼らの頭をそる費用を出すという「律法を守る行為」をあえて行なう必要はありませんでした。彼は律法から自由にされていたからです。しかしパウロはこの提案を受け入れました。


 なぜでしょうか。それは伝道者の使命感と、キリストの愛と、教会の一致の為と考えられます。パウロは「ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、私自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。」(一コリント9:20)と記しています。


 救いの為に謙虚に最善を尽くし、不必要な争いや分裂を避け、教会の一致の為に愛をもって行動したパウロの姿をここに見ます。