イエス様といちじく

エス様もイスラエル民族に、「初なりの実」を期待されたのでしょう。「空腹を覚えられた」は「切望した」の意味があります。選民イスラエルに、「イエス様をメシアと信じる信仰の実」を示すことを切望されたと理解できます。しかし今、メシア(イエス様)が神の都エルサレムに来ている時に、「信仰の実」を示すことが出来なかったことを、「葉の他は何もなかった」と表現しているようです。「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」(14節)は「救いの時」をわきまえられなかった選民イスラエルは、もはや選びから外されたとの嘆きでしょう。