捕囚からの解放

本日の旧約聖書イザヤ書は、バビロンに捕囚の民として捕らわれていたイスラエルの民に解放の予告が宣べられている箇所です。「呼びかける声」(3節)は、「主の為に(私達の神の為に)、荒れ野に道を備えよ、荒れ地に広い道を通せ」と呼びかけます。道路整備の目的は、エルサレムに帰ってくる捕囚イスラエルの民の為ではなく、神様の救いの活動がスムーズに

行われる為です。「道なきところに道を作り、でこぼこの道を平らにする」とは、イスラエルの民が、長い間の異国での捕囚生活で、不信仰、不従順、偶像崇拝などの罪を、神様の前に悔い改めて、それらを全て取り除き、「神の民としてふさわしい礼拝者となる」ことを意味します。

 この時の、荒れ野に叫ぶ声が、それから約500年後、再び、荒れ野でひびき渡ることになります。それは、神様の独り子が救い主として地上に遣わされるという、神様の壮大な救いの御計画が、いよいよ実現する時を迎えたからです。それに先立って、人々の心がメシア(救い主)をお迎えするにふさわしくなる為に、その準備する者として選ばれたのが、祭司ザカリヤと妻エリサベトの夫婦によって生まれ出る子供でした。