まちがった信仰

彼はイエス様に、カファルナウムの家に来て息子を癒してほしいと頼みました。ところがイエス様は「あなた方は、しるしや不思議な業を見なければ決して信じない。」(48節)と、厳しい言葉を返されました。
エス様がこの世に来られたのは神様の御計画によるものでした。その目的は、私達が毎週礼拝の中で「懺悔の祈り」をささげた後に、司会者によって宣言される「罪の赦し」に表わされています。罪の赦しの宣言は、以下の御言葉です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ福音書3:16−17)。

神様は、罪の中で生き、「死」という形で滅びるしかなかった私達人間の命を救い出して、「罪の赦し」と「永遠の命」を与えて下さるために、イエス様をこの世に遣わされました。イエス様は、その全生涯を通して目に見えない神様のことを伝え、御自分が救い主として遣わされたゆえに、神様を信じ、御自分を信じるように導かれました。しかし、イエス様のなさる「奇跡」だけを追い求めて、イエス様の語る御言葉そのものには耳を傾けず、イエス様を神の御子として受け入れない人達が沢山おりました。それゆえ、「あなた方は、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われたのです。