はじめに

 本日の聖書は、イエス様のご生涯の、最後の一週間の「論争の火曜日」での出来事の一つです。
最初は、ユダヤ教の指導者達から質問を受けてイエス様がお答えになる形をとっていましたが、指導者達はイエス様からどんなに誤りを指摘されても、反対の立場を決して変えようとしませんでした。彼らの役割は神様の教えを第一とし、それを民に伝え、来たるべき救い主を証しすることでした。しかし彼らは、職人階級出身のイエス様がメシアであるはずはないと決めつけ、悪霊の頭だと言ったり、神様を冒涜していると非難する姿勢を変えませんでした。それは、この世を仮に治めているサタンの性質を、彼らが受け継いでしまったいることを表しています。ユダヤ教指導者達は「律法」に詳しく、更に神様の御心を知っていると期待されていましたが、自分の利益、名誉、知識、偏見、思い上がりなどで自分の判断を絶対化して、神様の御声を聞くことを怠ったからです。
そしてついに救い主出現を前にして、サタンの最後のあがきがユダヤ教指導者達の姿を通して映し出されました。本来、「救い主の証人」となるのに一番ふさわしい彼らは、「エリート」という人間社会の中での優越感に溺れ、その待遇に甘えていたがゆえに、肝心なところで不信仰を重ねる形となったのです。