イエス・キリストの洗礼

  バプテスマのヨハネヨルダン川で人々に悔い改めの洗礼を授けていることを聞いた時、イエス様は、「彼からバプテスマを受けるため」ヨハネのところにやってきました。このことは「悔い改めのバプテスマ」を授けているヨハネにとっては引き受け難いことでした。なぜならイエス様は、悔い改めるべき罪を犯していない、罪のない方だったからです。

ヨハネは、イエス様の洗礼志願を思いとどまらせようとして、自分こそ、あなたから洗礼を受けるべきであると言いました。しかしイエス様はヨハネに「今は止めないでほしい。正しいことを全て行うのは、我々にふさわしいことです。」と言われました。罪のないイエス様が洗礼を志願されたのは、御自分がこれから福音宣教の道を開始されるにあたって、罪ある人々との完全な交わりに入られるという謙虚な、へりくだりを意味しています。御自分を、人々の罪を担っていく側に身を置かれたということです。イエス様は、ヨハネバプテスマの中に神様の御支配を認め、その前に身を屈めて服従することは正しく、正しいことを全て行うのは、二人にとってふさわしいことであると説得されました。