主の憐れみ

「主」が預言者を通して、何度も警告して下さっていることが、実は、主の「憐れみ」によるのです。主は、ご自分の選んだ民(イスラエル)の中から、悔改めて従う者を再び故郷へ戻ることが出来るとの希望を与え、その約束の実現へと導かれました。

さて今、私達は、東日本大震災を経験して価値観の転換という歴史の転換点にいます。神様なしの人間的観点だけで物事を進めていくことの限界を思い知らされました。政治の混乱・科学の限界・自然へのかかわり方など、人間の思い上がりで間違った方向に来ていました。私達が受けたきつい試練を通して、初めて人間は自分達の愚かさ・悪さに思い至り、神様なしでやれるとの傲慢さに気付き始めているのではないでしょうか。
今日読んだロマ書には、ユダヤ人でない私達「異邦人」にも、信じる者には「憐れみの器」として、神の民として召し出して下さったことが記されています。今こそ悔い改めて神様に立ち帰る時、神様はエレミヤに語った希望を、私達にも語って下さいます。神様を知る私達は、これ迄の人間の傲慢に基づいた価値観に迎合することから解放されて、神様の前にある人間として謙虚に生きる姿を示す時ではないでしょうか。

異邦人の私達に救いの道を開いて下さったのは、我らの主・イエス様の十字架による罪の贖いと、栄光の復活によってです。そのことに感謝し、主の御前に義しく歩むことができるよう聖霊の助けを祈りましょう。