主の主権

「悔い改めよ。そうでなければ滅びる!」との預言は、バビロン捕囚という形で実現しました。しかしそれで終わることなく、その後、「苦境からの解放」という希望の預言を、神様はエレミヤに語らせ実現されました。つまり、「神様がこの世に主権をもっておられる」ことを明らかにされたのです。
今日の聖書でも、「主(神)」の主権がはっきり示されています。エレミヤは、陶工が、「気に入らない作品」を作り直す様子を見て、「陶工」は、人間を創られた神「主」の比喩であり、材料の「粘土」は、人間やその群れとしての比喩であることを、はっきりわかったのです。主は「陶工」が気に入らない粘土を壊すように、今や、不信仰・不従順のイスラエル民族を壊そうとしていることを警告し、民が「悪を悔いる」ならば災いを思いとどまること、逆に、御自分が建てた王国でも、「従わない」ならば、幸いを与える予定を変更する権利を持っていることを告げられました。「主」が、この世のすべてに対して主権をお持ちなのです。私達はこの「主の主権」を忘れすぎているのではないでしょうか。