はじめに

私達の教会は、プロテスタント教会です。カトリック教会は、ローマ教皇を立てて出来た教会ですが、プロテスタント教会というのは、当時の堕落したカトリック教会から離れて、「聖書に帰った」キリスト教であるということが出来ます。プロテスタント教会は、宗教改革によって始まりました。1517年10月31日に、ルターが95カ条の問題提起をヴィッテンベルク(ドイツ)のお城の付属教会の扉にはりつけました。95カ条の問題提起の、一番の中心点にあったのは、カトリック教会が発行した贖侑券(しょくゆうけん) の問題でした。
贖侑券(しょくゆうけん)は、カトリック教会が 第一回の十字軍を召集するのと同時期に出された「木の札」又は「紙札」のことで、最初の頃は、それを買うことによって自分の罪をつぐなうことが出来ると言われていました。しかしルターの時代になると、日本で「免罪符」として知られているように、罪のつぐないにとどまらず、「罪を赦す」ことにまで発展しました。しかも現世の罪だけではなく、煉獄(れんごく*注)にいる者の罪を赦す、と説いて人々に売っていたのです(お札を買うお金を箱に入れると同時に、魂が天国に昇る)。そのような「贖侑券」を売っていたことに対して、ルターは、「罪を赦すことが出来るのは、キリストだけであり、教皇でさえも出来ない」と主張したのです。その時以来、カトリック教会からのルターへの尋問と、それに対する討論が繰り返される内に、ルターが問題提起した内容は拡がり、明確になっていきました。それから三年後、今度は、カトリック教会がルターに対して、41の誤りを指摘して、その誤りを撤回しなければ破門し、教会から追放すると言ってきました。ルターはその指摘に対してくわしく反論し、自分の考えは殺されても撤回しないということから、ついにルターはカトリック教会から破門、追放されました。

 しかしこの討論の中で語られた内容は、ルタ−だけではなく、ツヴィングリやカルヴァンといった宗教改革者達も、カトリック教会に対して、同じ主張をすることになり、さらに拡大していったのです。
 *注 煉獄(れんごく):カトリック教会の教理。罪の償いを果たすまで、霊魂が苦しみを受けて浄化される所。