ホームページ変更のお知らせ
「神の聖者」
イエス様の救い主として偉大な勝利と権能をいち早く知った「悪霊」が、イエス様に使った称号が「神の聖者」です。「聖」とは、神様に属する者として取り分けられるという意味があります。後に、イエス様の一番弟子ペトロがイエス様を証しするときに、この称号で呼びました。(ヨハネ6:69・使徒3:14)
「悪」なるものが「善」なる者より先に「救い主」を察知する例です。「神の聖者」であるイエス様は、この後、悪霊に、黙って、男から出るように率直に指示し、御言葉が実現しました。イエス様を「神の聖者」だと知りながら、主にへりくだって従う方に変わらなかった悪霊は、主の御前に留まれませんでした。イエス様は御自分の前で悔い改め、信じて従う者を探し出し、「神の国」の拠点とされます。
イエス様の御前にやってきた悪霊
ユダヤ教の礼拝所である「会堂」でイエス様が話をされている時に悪霊が、一人の男の体を用いて、
主の御前にやってきました。「霊」の話については、科学的思考に慣れた私達には、信じがたいと思われる方がおられるかもしれません。けれども、人間の居る所で、科学的に割り切ることのできないこと、「霊」の働きと思わざるを得ないことが、必ず存在します。昔だけでなく、現代にもあります。昨年、この仙台南伝道所で礼拝説教してくださった「ウェイド・マカーグ宣教師」の証しにも「霊」の働きにまつわる内容がありました。アメリカの先住民族の方々に伝道していく中で、ある時、「悪霊」を追い出し、「神の国の救い」を彼女や周りの人々に実際に示した出来事を語ってくださいました。この先生の伝道への熱意ある祈りが神様に聞かれ、イエス様が待っておられた悪霊を追い出すという神様の御業が現れたと思われます。
さて、今日の聖書箇所に戻ると、本来イエス様から遠ざかったままでいるべき「悪霊」がイエス様の御前に来ました。「荒れ野の誘惑」(ルカ4:1〜12)でイエス様が「悪霊」に打ち勝ったことは「霊」の世界では知れ渡っていたのでしょう。「悪霊」とは「デーモン」と呼ばれていて、「悪魔(サタン)」の手下と考えられていました。「悪」の側の者達は「悪」を装っていますが、彼らこそ「善」の素晴らしさがわかり、心の底では憧れているのです。「自己中心」や神様に背くという間違った方向性を悔い改めれば、彼らも救われます。けれども、極限まで追い詰められないと、彼らは「善」への方向転換をする勇気を持てずに悪の状態に甘んじるのです。「悪霊」は「かまわないでくれ」と言いましたが、実は裏返しの表現で、心の底では「かまってくれ」、「救ってくれ」と言っているのです。