2章21−35節
21 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。
22 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
23 それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。
24 また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。
26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。
27 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。
28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。
30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
31 これは万民のために整えてくださった救いで、
32 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」
33 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。
34 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
35 ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
救いのご計画
多くの民族の中から神様はユダヤの民を「神の民」として選ばれ、人類に対する救いのご計画を預言者を通して明らかにされていました。救い主が与えられるという約束です。メシア(救い主)はエッサイの家系から出ると預言されておりました(エッサイはダビデ王の父)。ユダヤの人々は神の民(選民)でありながら、その歴史は悲惨でした。一時期非常に栄えた時代がありましたが(紀元前1000年前後にわたるサウル王・ダビデ王・ソロモン王の治世)、その繁栄は長続きせず、ソロモンの死後 国は分裂し、北(イスラエル)王国は紀元前8世紀にアッシリヤ帝国に滅ぼされ、南(ユダ)王国も紀元前6世紀にバビロニヤ帝国に滅ぼされ、以来、ペルシャ、ギリシャ、ローマと常に外国の支配下におかれました。彼らは国を持てないまま、長い長い時代を苦しんで生きてきましたが、メシア待望の信仰が消えることはありませんでした。メシアを、この世的な地上での繁栄をもたらす王として待ち望む人々が多くいた中で、シメオンは違いました。
シメオン
聖書は彼をこのように紹介します。「この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた」。シメオンが聖霊に導かれて神殿の境内に入ってきた時、両親に連れられてきた生後40日のイエス様に会ったのです。
シメオンは幼子イエス様を腕に抱き、神様をたたえて言います「主よ、今こそあなたは・・この僕を安らかに去らせて下さいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」。
幼子イエス様を見て、シメオンは神様の約束の救いの「成就」を見たと告白したのです。何という信仰告白でしょう。彼の確信は聖霊の賜物によるものでした。正しく生き、信仰あつく、聖書の約束を信じて聖霊の賜物をいただいたシメオンに想いを寄せながら、自らの信仰を吟味したいと思います。