わたしたちの進む道

 聖書は美しい言葉で綴られている文学ではありません。時には目をそむけたくなるような人間の罪が暴露され裁きが述べられます。聖書の光によって自分の罪が照らし出された時、私達にもファリサイ派と同じような偽善性があるという事実を厳粛に認めざるを得ません。その時、悔い改めてイエス様を信じる道へと方向転換(又は軌道修正)し、イエス様に従っていくことができる者は幸いです。それは天の国へつながる道を歩くことになり、信じる者が一人も滅びないで永遠の命を与えられる道でもあります。「私は道であり、真理であり命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない」(ヨハネ福音書14章)「イエス・キリスト以外のほかの誰によっても、救いは得られない。」(使徒4章)。

 ここにおられるすべての方が、信じる者の道へと歩みだされることを願い、内側と、外側の二重の基準で自己矛盾を抱えるのでなく、聖霊の助けをいただきながら、いつも神様の前で生きることができるように祈りつつ、今週も歩みたいと願うものです。