何度集めようとしたことか

 イエス様は、37節で、「預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めんどりがひなを羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前達は応じようとしなかった。」と過去のこれまでの不従順の歩みを嘆いています。めんどりがひなを集めるという表現は、親鳥がひなに食物を与え、安全なねぐらと、外敵から保護するという神様の守りをあらわす言葉であり、イザヤ書には「つばさを広げた鳥のように、万軍の主は、そのように、シオンの山とその丘の上に降ってたたかわれる。」とあります。このイエス様の「何度集めようとしたことか」という言葉の中に、イスラエルの長い歴史の中で、神様がイスラエルの民を愛し預言者を送り神様の言葉を語り続けてきたこと、そして今、最後に、預言者ではなく、神の御子イエス様を遣わされて、こうしてあなたがたに神様からのメッセージを伝え続けてきたけれど、あなたがたは、私をそして私の父・神をかたくなに拒み続けた、という悲痛な思いが伝わってきます。