その結果・・

 その結果、彼らは38節で裁きが宣告されます。「見よ、お前達の家は見捨てられて荒れ果てる」と。ここに、ユダヤ教の歴史的な使命が終わったことが宣言されているのです。
 24章の一節には、神殿の境内を出ていく時弟子達が神殿の建物を指差したとあります。他の福音書では弟子の一人が、「先生、ご覧下さい。何とすばらしい石、何とすばらしい建物でしょう。」と感嘆の声をあげていることが記されています。このエルサレム神殿は、ヘロデ大王が建てたものですが、それまでの規模の二倍のものを作ろうと、紀元前20年に着工されたものでした。神殿の境内の外側には、南北450m東西300mの回廊がめぐらせてあり、神殿は、長さ12m,高さ4m,幅6mの堅い白亜の大理石で作られ、前の部分は金でおおわれ、朝日が昇ると、さんぜんと輝く神殿を、巡礼者たちは大きな感動で仰ぎ見たそうです。神殿の中には、トーラーと呼ばれる律法が置かれ、そこは神とイスラエルの民との契約が証されている場所でもありました。人々は、エルサレムの都は、神の永遠の契約の保護のもとにあることを信じて疑いませんでした。けれども、神殿の完成が紀元64年と、じつに84年の歳月をかけて完成したエルサレム神殿は、そのわずか6年後にイエス様の予告通り滅ぼされるのです(紀元70年にローマによって)。同じ節に「イエスが神殿の境内を出て行かれると」とあります。この「出ていく」という聖句は、イエス様が神殿からいなくなった後、神殿は空虚な場所となってしまった、ということを伝える象徴的な言葉として読まれています。どんなに人々が集まろうと、どんなに祈りがささげられようと、ファリサイ派や律法学者たちの権威のもとで教えられるユダヤ教は、預言者たちを殺し、神の御子イエス・キリストを拒み、決して信じようとしないかたくなさと共に、律法の内実をないがしろにして、見える部分だけを美しく飾ろうとする偽善の宗教へと堕落し、ついに神不在の神殿宗教となりました。