今や、キリスト教徒が「神の民」を継承

 イエス様を信じる時、神様の臨在がそこにあります。神の声は直接聞こえなくても、神の言葉である聖書が私たちの道しるべです。聖書の言葉を私達が豊かに蓄えれば蓄えるほど、必要に応じて、聖霊の働きと共に、その御言葉が神様の言葉として聞こえてきます。この経験を繰り返すことで、神様が近くにおられることを知ることができます。神様が私達と共におられることを知るならば、祈りも又、いつでもどんな時でもたやすく口から出てくるでしょう。多くの日本人が、一年に一度だけ初詣にいって祈るのとは対照的に、私達は毎日何回でも自由に祈ります。朝に一日を恵みの中で過ごせるように祈り、日中は助けが必要な度に祈り、夕べには一日が守られた感謝の祈りをささげます。助けを必要とするとき、(たとえば、自分の怒りを鎮めてください、ショックから立ち上がらせて下さい。やさしい気持ちを与えて下さい、意欲を増し加えて下さい。誤解がとけるように、気持ちが通じるように、など)神様を仰ぎ見て祈ります。
 私達は、イエス様の悲痛な嘆きと愛を今日の聖書から知ることが出来ました。今一度、私達の生きる生き方を真剣に問い直し、イエス様がその生涯を通して教えてくださった神様を信じて生きる道を、これからも喜びをもって学びつつ歩んでいきたいと願うものです。