はじめに

 過越の食事とは、ユダヤ人にとっては民族の歴史を思い起こす記念の時として大切に守られていました。イスラエル民族の選民としての歩みは、まさに苦難の歴史でありました。その苦難の中で神様の救いの業があらわれたことを、今も生活の中で、親は子供達・孫達へと伝え続けています。ユダヤの三大祭りの一つである過越の祭りの由来については出エジプト記12章に記されていますが、当時エジプトで奴隷であったイスラエルの民を自由にする為に、神様はモーセを遣わしてエジプトの国に災いを下します。エジプト王はイスラエルの民に自由を与えることを頑なに拒み続けますが、十番目の災い・・それはすべての家の長子(長男)の命が奪われる災い・・がエジプト全土を襲った時、イスラエルの民はモーセの言葉に従い、小羊の血を取って家の入口の二本の柱と鴨居に塗ったことなどを通して、その災いが過ぎ越していったという出来事です。エジプト王はこの災いをきっかけに、ついにイスラエルの民を自由の身とさせたのです。