イエス様の洗礼 

 モーセの死後、後継者としてカナンの地へイスラエルの民を率いるよう、神様から使命を受けたヨシュアは、上からは主の励ましと導きと御守り、下からはイスラエルの民の励ましと勇敢さと信仰の支え故に、ヨルダン川を渡り、その任を全う出来ました。洗礼は「水に浸る」というのが元々の意味です。イエス様の受洗は、主の選ばれた民をヨルダン川を渡って、約束の救いへと到達させたヨシュアの「喜ばしい知らせ」を連想できます。又、イエス様の受洗はイエス様を信じて歩む私達のよき先例でもあります。私達はイエス様と異なり罪に絡まれた存在です。私達は神様から離された罪ある世界で苦しんで生きていました。その過程は各々違いますが、御言葉に触れ、聖霊によって「洗礼を受けてイエス様を信じる生き方をしたい」と思うようになり、願うようになります。  私は洗礼を受ける前に牧師から「罪ある身が一度死んで、イエス様の十字架と復活にあずかり、新しく生まれ変わり救われる」と学びました。