逆転(異邦人を照らす啓示の光:32節)

 シメオンは幼子イエスを腕に抱けて喜びや安心感はひとしおだったでしょう。このイエス様こそ、神様が準備された全民族の救いであり、その救いが異邦人に迄広がり、神様のご計画が明らかになれば、神様の御子を授かった選民イスラエルはそのことを誉れにすることが出来るという喜びの歌です。啓示とは、覆われている神の真理が、覆いがとれて明らかになるという意味の言葉です。イスラエルの人々にとって異邦人とは、神の律法を知らない民族、又、侵略する・されるという争いの生じる近場の異民族のことが脳裏に浮かんだと思われます。自分達は抑圧されてきたという敵対心も込められているかもしれません。しかし神様にほど遠いとみていた異邦人でさえ、神の真理を知り得るということ、その異邦人が御子とその母体のイスラエル民族を尊敬するようになるということ、このような逆転が神様の救いの時には起こります。これはマリアの賛歌やイエス様の山上の説教にもあらわれる神の救済の業の素晴らしさです。人智の及ばない神様の素晴らしい知恵と力と業です。(後略)