主の平安

 最近、「主の平安」を経験しました。今祈祷会では「ヘブライ人への手紙」を学んでいます。2章10節から18節に、「イエス様が血と肉を備えられたのは(この世に人間としてお生まれになったのは)、イエス様が死を司(つかさど)る者(悪魔)を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖の為に一生涯、奴隷の状態にあった者達を解放なさる為でした。」とありますが、とても納得できた経験をしました。頭(理論)では知っていましたが、「腑に落ちた」という感じでした。忙しさと軽薄さの中で日々を過ごす内に、自分が死ぬ身であることも忘れかけ、かつて教会に通う前には悩みの淵にいて自分が神様とつながることが出来るなどとは思いもよらなかったことを思い出しました。そのまま死を迎えていたら、神様と断絶したまま暗い淵に沈んでいたのだろうなあと気がつきぞっとしました。今は、イエス様の十字架上の死によって私の罪による神様との断絶は贖(あがな)っていただけて、神様と(接ぎ木ながら)つながりを回復していただき(イエス様を仲保者としてですが)、その救いを確信して死ねるのだなあ!ほんとに安心なんだなあ!と実感できたのでした。