私達は礼拝に招かれている。そして日常生活の奉仕へ。

 私達は具体的な日常生活において、仕事をしながら神に奉仕をするとは考えないかもしれません。しかしそこを離れて人に仕えることはないでしょうし、人に仕えることを離れて神に奉仕をするということは考えられません。それだけに私達の日常生活は大変なことです。大抵は自分が求めるあり方、希望している生活(営み)にはならず、赦しと救いを必要としています。私達は神の憐れみ、神の愛を必要としています。そこに又、日曜日の礼拝において私共は再び神によって罪の赦しをいただく。或いは神の前にざんげする。そういう必然性を私共は与えられている。そういう形で私共は日曜の礼拝に招かれている。そういう形で日曜日の礼拝から日常生活において奉仕をするように勧められております。