2009-01-18から1日間の記事一覧

私達は礼拝に招かれている。そして日常生活の奉仕へ。

私達は具体的な日常生活において、仕事をしながら神に奉仕をするとは考えないかもしれません。しかしそこを離れて人に仕えることはないでしょうし、人に仕えることを離れて神に奉仕をするということは考えられません。それだけに私達の日常生活は大変なこと…

ルター「キリスト者の自由」

「キリスト者の自由」の最初にでてくる「二つの言葉」は今日の聖書に非常に関連があるのではないかと思います。 1.「キリスト者は、すべての者の上に立つ自由な君主である」。 キリスト者は神によってキリストを通して罪が赦され、罪から解放され、キリス…

日常生活においてなすべき礼拝 (12:3以下)

3節以下には「日常生活においてなすべき礼拝」「教会の中の生活」において一番重要な仕事が語られています。「預言・奉仕・教え・勧め・施し・指導・慈善」との言葉が出ています。大事なクリスチャンの基本になる「教会生活」の中でなされている仕事です。パ…

礼拝の持つ使命

私達の世界では、さまざまな形で善についての議論がなされています。社会生活や改善する時の方針、教育の在り方など考える時、必ず理性的、善・悪を問題にします。戦後の教育基本法などに出てくる善とか価値というものについて見る時、それがいかに聖書の教…

なすべき礼拝

このことから1節の「なすべき礼拝」というのが何であるかがよくわかると思います。「心を新たにして自分を変えていただき、神に喜ばれる善いこと、完全なことを学ぶ」ことが日曜日の礼拝です。「なすべき礼拝」とは、英語では「リ−ズナブル(reasonable)な…

礼拝の意味

次にパウロは礼拝の意味(礼拝がどういうものであるべきか)を語っています。12:2「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわ…

神が私達に奉仕をした

今日のキーワードは「礼拝が奉仕である」ということです。日曜日の礼拝は「神が私達に奉仕をした」ことを聞くことです。神がキリストを私達に送って下さったその意味を学ぶことです。それによって何が起こったかということを教えられるのです。これは神の私…

礼拝は「奉仕」

礼拝には「奉仕」という意味があります。日曜礼拝は「サンデー・サービス(Sunday service)」といいます。奉仕をするとは(どのような形であれ)周辺の人が助けを必要としている時に助けることです。聖書には隣人愛という形で表れますが、それも又奉仕です…

パウロの勧め

パウロは勧めます。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそあなたがたのなすべき礼拝です」(12:1)。これはすぐには読めない大変厳しい言葉です。生ぬるい私共の生活から比べると「いけにえとして献げる」とは大変な言葉で…

「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなた方に勧めます。」

冒頭の「こういうわけで」とは、ロマ書1章から11章の終りまでの全体を指しているように思いますが、「神の憐れみ」は特に3:21から11章の終りまでに関係しています。「神の憐れみ」とは神が私達に御子イエス・キリストを与えて(送って)下さった、(神様の…

はじめに

「礼拝としての生活」・・このような言い方はあまり聞き慣れないかもしれません。パウロがここでいう「礼拝」とは、私達がささげている礼拝と、キリスト者の生活という意味での礼拝の両方を意味していると思います。今朝はこの二つの「礼拝」の関連について…

 12:1−2

1 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。2 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分…

 95:1−11

1 主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。2 御前に進み、感謝をささげ/楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。3 主は大いなる神/すべての神を超えて大いなる王。4 深い地の底も御手の内にあり/山々の頂も主のもの。5 海…