なすべき礼拝

 このことから1節の「なすべき礼拝」というのが何であるかがよくわかると思います。「心を新たにして自分を変えていただき、神に喜ばれる善いこと、完全なことを学ぶ」ことが日曜日の礼拝です。「なすべき礼拝」とは、英語では「リ−ズナブル(reasonable)な礼拝」となっています。元の言葉では「ロゴス的・理性的・合理的」な礼拝となっています。キリスト者の礼拝はそういう礼拝でなければならない、とあるのは大変重要です。(それ迄の礼拝は、動物をささげたり、お供え物をささげたりするのが一般的)。そして日曜日の礼拝において、神のみこころを学ぶ(何が善く、何が喜ばれ、何が完全であるか)ことは、理性的に歩もうとする者にとって、きわめて重要なことだと理解してよいでしょう。