礼拝の意味

 次にパウロは礼拝の意味(礼拝がどういうものであるべきか)を語っています。12:2「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」。これは特に日曜日の礼拝にあてはまるように思います。なぜなら、「心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえる」ことが出来るからです。これは日曜日の礼拝なくしては出来ません。しかし礼拝において「神に喜ばれること」「完全なこと」を学んだ事柄に基づいて、私共が日常生活で少しでも実践する、具体化していく、ということがないと身にはつかず、信仰の生活というものにはなりません。神様が求めておられる事はすべてクリスチャンにとって善です。神様の求められる事を行なうということは神様にとって喜びです。ですから少しでも語られたことを行なうということがないと、信仰生活とはいえません。