三つの側面

 ダビデヨナタンの友情の特徴を、三つの側面から概観したいと思います。一つは、識見(物事に対する正しい判断、考え)を誤らせることがなかった、という友情でした。たとえば、父サウル王がダビデを殺すようにヨナタンと家臣全員に伝えます。その時にヨナタンは、父サウルに、「なぜ罪なき者の血を流し、理由もなくダビデを殺して、罪を犯そうとなさるのですか。」と父をいさめております。識見(物の判断)を誤らせるどころか、彼らの友情は今日にも通じる価値観、倫理観を高めるように働いたということを見てとることができます。


 彼らの友情の特徴の二つ目は、歩む道を誤らせることがなかったということがあげられると思います。換言するならば、彼らの使命観、召命観を見失うことがなかった。たとえば、王子であるヨナタンが、ダビデに「イスラエルの王となるのはあなただ。私はあなたの次に立つ者となるだろう」と告げております(23:17)。なぜ、王子であるヨナタンがこのような自己理解に達したかはわかりませんが、自分が歩むべき道、自分に与えられた使命をはっきりと彼は認識していた。それをダビデと共有した。彼らの友情は、自分の歩む道、自分の使命というものをはっきりと二人で共有しているというところが特徴であります。


 三つ目の特徴は、予想されることですが、友人の困難を未然に防いだ、ということです。父サウルはダビデを殺すというその意志は変わりませんでした。それは言葉だけで本当は父はダビデを殺すなどということはないだろうとヨナタンは思っていたのかもしれませんが、父の決意がはっきりしていると知った時、彼はダビデを逃そうとします。これは旧約聖書でも有名な場面ですが、野原に潜むダビデに、彼が安全か危険かを告げる約束をしていました。空高く、3本の矢を射るのですが、もし大丈夫だったら近くに弓矢を射る、本当に命が危ない時は、遠くに弓矢を射るという約束でした。ヨナタンは父の殺意の気持が変わっていないことを知るや、空高く弓矢を3本、従者よりも遥か彼方に飛ばせ、ダビデに危険が迫っているので逃げるようにと知らせます。ヨナタンは正義を実行したのであります。