はじめに

 日本基督教団では8月の第一聖日を平和聖日と定めています。旧約聖書では戦争の反対の「平和」はシャロームという言葉が使われます。 元来シャロームは、何かが欠如したりそこなわれたりしていない満ち足りた状態をさし、そこからさらに、無事、平安、健康、繁栄、安心、親和、和解など人間の生きる上でのあらゆる領域に渡って、真に望ましい状態を意味する言葉です。このような意味での平和は神様の業であり、神様の賜物でした。このシャロームは人間が神様の意志に基づき、正義を行なうことによって神様との契約関係を正しく保つ時にのみ、現実のものとなります。「正義が造り出すものは平和であり、正義が生み出すものは、とこしえに安らかな信頼である。」(イザヤ書32:17)。
 新約聖書の「平和」も、このシャロームを受け継ぎ、人間の生の全領域における(神様の意志に基づいた)真の望ましい状態をさします。それはイエス・キリストによって与えられる神様の愛と救いの現実・そのものをさします。私達は、イエス・キリストの十字架によって神様との敵対関係から和解へと導かれました。それによって神様と人間との和解だけでなく、人間と人間の間の平和への道も与えられました。一般社会では戦争のない世界が平和な世界と考えられています。しかし私達は、まず私達自身が神様の意志に従って、正義と公平の道を歩む決意を新たにしたいと思います。それは、平和が神様に従う時に賜物として与えられる神様の業であることを、聖書から学んでいるからです。