二番目の種

 二つ目の種は、「土の少ない石の上で、芽生えはしたが、根が張れずに、日の熱で枯れてしまった」と、根を張ることの重要性を教え
ています。落ちた場所が悪く、根を張れず、必要な水分「命の水」を得られずに生きられなかったのです。根を張れないとは、御言葉
が心に深く入っていけないということでしょう。
私自身、自己中心的な感性と行動、悪い感情に支配される粗暴さ、一時的安楽に流れる怠慢さや愚かさなどの、自分自身の罪悪を見つめることが何度かありましたが、それらの罪悪をもあがなって、私を神様につなげようとして下さるイエス様の愛と働きを、聖書から学ぶことを通して、私は形式的なクリスチャンから少しずつ変えられてきたように思います。が、まだ「根」は充分に張っていない・・と危機感があります。「根」を深く伸ばすには礼拝に出席することだけで満足せず、祈り、聖書を学び、「命の水」を常に得る神様中心の生活を送ることです。