私達は旅人 

 ヘブル書では、信仰をもって生きる者は地上にあって天にあるふるさとを求めて歩む旅人であると表現しています(11:13−)し、フィリピ書には、「私達の国籍は天にある」(3:20)とあります。イエス・キリストを信じる者は、死んでも生きる永遠の命が約束されていますので、特に今日は信仰をもって生き抜いた天上の聖徒の方々を覚えつつ、礼拝をささげます。いずれ私達は、この写真の方々と同じように神様から召される時を迎えます。その時、私達は、地上での生涯を神様に深く感謝し、神様のもとに喜んで召される者でありたいと願うものです。キリスト者の死は、この世での絶望的な死ではなく、天国への凱旋であり、神様のご計画のもとに召されていくという、神様にお委ねした平安の時でもあります。地上においては愛する家族との別れがあり、残されていく家族への思いは測り知れないものがあります。しかしその悲しみ・心の痛みも、やがて必ず来られるイエス・キリストの再臨の時までで、残された家族には神様の慰めといやしを信じることが出来るのです。パウロは手紙でこう記しています。「私は世を去る時が近づきました。私は、戦いを立派に戦いぬき、決められた道を走り通し、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれを私に授けて下さるのです。しかし、私だけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、誰にでも授けてくださいます」(テモテ4:6−8)。この信仰を与えられるように共に祈りたいと思います。