主を頼みとする

 次にパウロバルナバは、約140キロも離れたイコニオンの町で伝道します。ここでも大勢のユダヤ人やギリシャ人が信じましたが、その一方で信じようとしないユダヤ人による扇動が起こり、二人に悪意を抱かせる妨害行為を受けました。しかし3節に、「それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った」とあります。迫害やあらゆる形の嫌がらせ、多くの誹謗中傷にもかかわらず二人は可能な限りイコニオンに長くとどまることが出来ました。なぜでしょうか。その理由は「主を頼みとした」からです。(イザヤ書30:15、詩編32:10、同62:8−9、同84:12−13、同125:1、箴言3:56参照)。


二人が語り伝える神様は、イエス・キリストの父なる神様であり、絶対信頼するに足るお方です。AD150年頃、小アジアのスミルナの主教のポリュカルポスは、信仰のゆえに捕えられましたが、彼に同情した役人からキリストを呪うなら許してやると言われて「86年の間、私は彼に仕えましたが、彼は私に何も悪いことはなさいませんでした。私を救って下さった私の王を、どうして呪うことができましょうか」と答えて殉教したと伝えられています。


常に、私達に先立って守り導いて下さる、父なる神様と、その神様をあらわして下さったイエス様と、今も共に働いてくださる聖霊に、私達も生涯をかけて信頼し、従っていきましょう。