はじめに

 イエス様は故郷に帰られました。故郷を訪れたのは、人々に悔い改めを勧め、「神の国」の到来を告げる為でした。故郷でのイエス様の宣教は、神様の権威をそのまま映したような教えであった為、人々は驚きました。ところが人々は、先ず、イエス様の学びの経歴や、奇跡の業の出所を疑い、父親が大工であり、家族・家柄をよく知っていることから、イエス様の話されることに対して疑いをもちました。子供時代を「知っている」「知られている」ことは、互いの心に大きなイメージ(先入観)を残すものです。少年時代のイエス様については、「神と人とに愛された」とルカ福音書にあります。しかしイエス様の成長の過程を見てきたと自負している故郷の人々にとって、イエス様は自分達と同じ延長線上にいる人間であり、ユダヤ人が何千年も待望していた「救い主」と認める(受け入れる)ことは困難であったと思われます。私達は、「人は中身!」と口先では言っても、家柄、学歴、職歴、身分など外面的なもので評価してしまう傾向があります。自分自身が「中身を大事にする」生き方をしていないと、本物がわからないのではないでしょうか。ロマ書に「肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます」(8:5)とあります。私達は「肉」ではなく「霊」の部分をまず第一に生きているかを吟味したいと思います。