はじめに

 日本キリスト教団は、毎年8月の第一日曜日を平和聖日と定めています。イエス様が語られた言葉に、「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」。(口語訳では、「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」)があります。使徒言行録10章には、「神がイエス・キリストによって平和を告げ知らせる」とあります。


 多くの人々は、戦争さえなくなれば平和が来ると信じています。しかし、たとえ戦争がなくなったとしても、イエス・キリストの福音を知らず、愛も赦しも存在しないところには、真の平和はやってきません。私達人間は、長い間、善悪を知りながら、神様に不従順を繰り返す、神様に敵対する存在でした。その関係を打ち破ったのがイエス様です。何の罪をも犯さなかった神の御子・イエス様が、十字架の死をもって全ての人の罪を神の前につぐなったのです。それにより私達は神様から赦しが与えられ、神様との間に平和の道が備えられました。私達の罪の為にイエス様が十字架上で死なれ血を流された、その大きな愛を知る時に、私達は悔い改めへと導かれます。そして死からよみがえり、死に勝利されたイエス様を信じて歩む時に、神様から来る、真の平和の道を歩くことができるようになります。


 この平和の道を歩んだ聖フランシスの祈りをご紹介します。
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素朴な祈り(原題)」 (訳:RUSTICO)


おお主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
  憎しみのあるところに、愛を持って行かせて下さい。
  争いのあるところに、ゆるしを持って行かせて下さい。
  分裂のあるところに、一致を持って行かせて下さい。
  疑いのあるところに、信仰を持って行かせて下さい。
  誤りのあるところに、真理を持って行かせて下さい。
  失望のあるところに、希望を持って行かせて下さい。
  悲しみのあるところに、喜びを持って行かせて下さい。
  闇のあるところに、光を持って行かせて下さい。


おお主よ、私が多くを求めないようにしてください。
  慰められるより、慰めることを、
  わかってもらうことより、わかることを、
  愛されるより、愛することを(求めさせて下さい)。
与えるからこそ、与えられ、
  ゆるすからこそ、ゆるされ、
  死ぬからこそ、永遠の生命によみがえるのですから。
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