「手で造ったものは神ではない」

 騒動のきっかけとなった「手で造ったものなどは神ではない」という言葉は真実です。それは詩編115篇でも、又イザヤ書44章にも記されている通りです。遠いエフェソに限らず、この日本でも手で造った神が溢れています。神社仏閣の近辺では、偶像やお守りを造り、商売で生計を立てている人達は数えきれないでしょう。私達も又、伝道する時、このように直接相手の利害にふれることもあるかもしれません。しかし、聖書は、時が良くても悪くても福音を伝えることを命じています(二テモテ4:2)。私は前任地で、お寺の長男の方が洗礼を受ける場に立ち会いました。


 パウロがこの騒動から守られたのは、エフェソの町の友人と書記官を通してですが、その背後に主が共におられたからです。私達も、共にいて助けて下さる主を信じて、手で造ったものはまことの神様ではないことを知らせ、「本当の神様」を、大胆に宣べ伝える者にされたいと思います。