「主の御心が行われますように」

 パウロは、エルサレム行きを危険だからという理由で断念することは、自分に与えられた使命をおろそかにすることであり、イエス・キリストに対して不誠実と考えたのでしょう。以前パウロは「私はエルサレムに行った後、ローマも見なくてはならない」と言いました(19章)。当時の世界の中心地ローマヘの宣教は、エルサレム訪問後の彼の使命であるとの確信があったのでしょう。パウロは、「命の安全」ではなく、今、与えられている「使命に忠実」であることを選びました。パウロの言葉を聞いた人々は「主の御心が行われますように」と言って口を閉じました。


 主の御心は測り難く、人間の思いをはるかに超えています。「御心のままに」と祈る祈りは、私達を「自分自身への執着」から解放し、全てが「神様のご計画の中に置かれる確信」と、「委ねる信仰」を与えます。