神の義

 「神の義」は私達のものではありません。「神によって義とされる」というのは、「神の義」であり「神が認める義」は、神が持っています。それが私共に与えられるということが、説教によって結びつけられるということになります。私達の持っているもの全てがキリストに担われて、キリストの持っているものが私達に与えられる。私達の罪がキリストに担われて、キリストの持っている神の義が私達に与えられる。だから、「義と認められる」わけです。私達の「行為」が私達の「信仰」と認められるわけではありません。神の前に通用する義は神の義しかありません。それをキリストが持っておられる。それが私共に移される(転嫁される)。これが、キリストがなさったことです。これが、御言葉として私達に伝えられ、これが神の愛と私達の関係です。