2010-10-31から1日間の記事一覧

自己愛からの自由

私達の愛は、自己愛から自分の方に曲がっており、それは体を持っている限り続くのです。今朝も「懺悔の祈り」をしましたが、私達は自己愛から自由であることを常に求められています。そして私達は常に礼拝を通して、神の御言葉を聞くことによって、そこから…

神の義

「神の義」は私達のものではありません。「神によって義とされる」というのは、「神の義」であり「神が認める義」は、神が持っています。それが私共に与えられるということが、説教によって結びつけられるということになります。私達の持っているもの全てが…

聞くことによってキリストと結びつけられる

ではどうしたら、キリストが私達の罪を赦し、私達を義とするということが私共のものとなるでしょうか。 パウロは、キリストの十字架についてコリントの手紙一の1章で語り、「このキリストは、私達にとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。」…

神の愛

それに対して「神の愛」というのは、「対象を愛し得るように変える」というのです。人間の愛と180度違うといえます。「人間の愛」は対象によって自分が気に入るかどうかによって生じます。「神の愛」は、愛し得ない者、愛することが出来ない者ないしは愛の対…

私達の愛

ルターは、ハイデルベルクの討論で、神の愛と私達の愛との関連について論じました。「神の愛」についてルターは、まず人間の愛との比較で語っています。「人間の愛」は見た目、感じで判断するという、大体は外から見た目、「真・善・美」で判断します。本当…

恵みのはたらき

ここに神の助け、聖霊(恵み)の働きがなければなりません。この働きによって初めて私共は信じることが許される。キリストを信頼することが与えられるのです。ですから「信仰のみ」という事柄は、実は「恩寵の恵みのみ」ということと密接に関連しているので…

神の言葉を聞く

神の言葉・・キリスト御自身が神の言葉です。それが聖書に記されています。「聖書はキリストがそこに横たわっているまぶねである。ゆりかごである。」とルターは言いましたが、その聖書が神の言葉です。その聖書に即して聖書が語られる。神の言葉が語られる…

聖書・キリスト・信仰・恵み

ルターの宗教改革の特徴として「聖書のみ」「キリストのみ」「信仰のみ」あるいは、「恩寵(おんちょう)・恵みのみ」と言われます。 その「キリストを信じる」ということについて、私共は自分で「キリストを信じたいから信じる」ということは出来ません。(…

キリストにおいて示された神

ヨハネ福音書に「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(1:18)とあります。これは先ほどの、「キリストを遣わされた。ここに神の愛がある。」ということの中で、単に十字架につけられた…

犠牲愛

ヨハネの手紙では、「キリストを十字架につけて、私共の為に、罪をつぐなういけにえとした」とあります。これは犠牲の愛です。神の愛は、独り子イエスを犠牲にする犠牲愛である、と言えるでしょう。自分の独り子を犠牲にするような犠牲愛は私共の中にはない…

「ここに愛があります。」(10節)

先ほど読んでいただいた聖書の中に「ここに神の愛がある」という言葉がありました。「ここに神の愛がある」というのは大変な聖書のメッセージです。「ここに愛がある」。たった短い一言がここに書かれています。それは、「神は、その独り子キリストを、私達…

はじめに

宗教改革から150年を経た1667年に、10月31日を宗教改革の記念日とすることを、ドイツとスイスとフランスのプロテスタント諸教会、及びアメリカの教会(その時点ではルーテル教会)が加わり、決めました。それは、1517年10月31日に、最初の宗教改革者(といっ…

4章7−12節

7 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。8 愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。9 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたした…

20章1−3節、13−17節

1 神はこれらすべての言葉を告げられた。2 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。13 殺してはならない。14 姦淫してはならない。15 盗んで…