神の愛

 それに対して「神の愛」というのは、「対象を愛し得るように変える」というのです。人間の愛と180度違うといえます。「人間の愛」は対象によって自分が気に入るかどうかによって生じます。「神の愛」は、愛し得ない者、愛することが出来ない者ないしは愛の対象にならない者(収税人、罪人など)、悔い改めを必要とする、そういう人々に愛が注がれ、彼らを愛しうるように変える・・。これは福音書でキリストがなさったこと、その通りではないでしょうか。そこに神の愛が現れていると思います。収税人や罪人の所に行き、キリストは交わり、その人々と話をし、その人々を変えたのです。愛し得るようにキリストが人々を変えた、その「愛」は、聖書の言葉で読みましたように、キリストの十字架において、そこでもう頂点に達しているといえます。そのことによってキリストは人間の罪を赦し、義とし、清める業をしたのです。私共にはそれはなかなか理解できません。理解出来ないので聖霊の助けがなければならないというわけです。けれどもそのように、キリストの十字架は、私達の罪を赦し、義とする働きを私共にもたらしたわけです。