「ここに愛があります。」(10節)

 先ほど読んでいただいた聖書の中に「ここに神の愛がある」という言葉がありました。「ここに神の愛がある」というのは大変な聖書のメッセージです。「ここに愛がある」。たった短い一言がここに書かれています。それは、「神は、その独り子キリストを、私達のところに遣わされた」、「そして私達の罪のいけにえとして捧げられた」、「ここに神の愛がある」と、つながります。


パウロも同じようなことを違う形で言っています。「私達すべてのために、キリストをこの世に遣わしただけでなく、十字架にかけて死に渡された神は、御子と共に、すべてのものを私達に賜らないはずはありましょうか」(ロマ書8:32)。


ヨハネの手紙では「神は、罪の償いの為に、御子をこの世に遣わして、捧げられた」といいます。パウロは、神は、キリストを遣わして、そのキリストを十字架につけて殺した。そういうことをしたわけだから全てのものを私達に下さらないはずはないと言っています。これはヨハネが言った神の愛を広く、深く言っているように思います。


ヨハネの手紙は、神の愛(アガペーといわれる神の愛)について書いた手紙です。その手紙と、「信仰のみによって救われる。義とされる」ということを中心に、キリストのメッセージを語り続けたパウロが全く同じことを言っていることで、「神の愛」と「信仰のみによって義とされる」ことが一つになっているような気がします。そういうことが聖書で語られていることを、聖書から学びたいと思います。