山に退かれた

エス様が山に登られたのは、奇跡を見た人々が、御自分を王にしようと捜していたので、そこから避けるためでもありました。(6:15)。群衆がイエス様を王にしようと考えたのは、イエス様の奇跡の業の中にかつてのモーセの姿を思い起こしたからでしょう。群衆は、イエス様が王になって、自分達のこの地上での幸福のために働いてほしいとの願いがありました。言い換えれば、群衆は自己目的追求の為にイエス様を利用するという思惑がありました。ですからイエス様は、それを「知り」山に退かれたのです。