イエス様と兄弟達との根本的な違い

7章の初めには仮庵の祭りが近づいてきたので、ガリラヤにいたイエス様の兄弟達も祭りにいく準備をしていたとあります。兄弟達はイエス様に、ガリラヤのような田舎ではなく、大勢の人達が集まるエルサレムに上ってイエス様の実力を示し、自分がメシアであることを世間にアピールしたらどうだと促しています。私達の社会では力のある人が歓迎され、力のある人の所に人は集まります。イエス様の兄弟達は、まさにこの世の生き方に倣い、イエス様の力を世間に見せつけて人々の心をつかめと勧めたのです。それに対してイエス様は「私の時はまだ来ていない」と拒否されました。


「私の時」という「時」は、御自分のことをはっきりとおおやけに示す『時』のことです。それは十字架への道が開始される時でもあります。イエス様の「時」は神様がお決めになることであり、イエス様は決められたことに従順に従うだけなのです。兄弟達はこの世に同調し、この世の流れにのって生きているのでこの世との矛盾も戦いも抵抗もありません。

しかしイエス様は、この世が行っている悪をはっきりと指摘するので、この世はイエス様を憎みます。兄弟達の生き方は、人々が賞賛するやり方であり判定基準はこの世の人々に委ねる道です。イエス様はこの世の根本的な間違いを指摘し悔い改めを求められます。聖書は、「兄弟達もイエスを信じていなかった(神の子救い主として)」と証言します。