聖書の権威

ルターが修道士になった頃もそうでしたが、カトリック教会のミサではラテン語の聖書が用いられ、ラテン語典礼が行われていました。
宗教改革の50年ほど前、1455年、ドイツで印刷技術がグーテンベルクによって発明されていましたので、聖書はすでに印刷されておりました。しかしその聖書は、ラテン語の聖書でした。ドイツの人々はドイツ語を母国語としていましたので、ラテン語を必ずしも理解出来たわけではありません。聖書を手にすることもむつかしい。手にしたとしてもラテン語で書かれていたので読むことも出来ない。そういう環境におかれていたのです。
おそらく神の言葉に触れるのは、司祭の、日常の言葉を通してであったと思われます。人々は、神から遠い位置に置かれていたのです。
しばらくして1537年、ルターは、「シュマルカルデン信条」を記して公会に提出していますが、その中で次のように記しています。
「神の言葉が、教会の教えと信仰告白を確立する。それは天使であってもくつがえすことが出来ない」。すなわち教皇も、教会会議も、それが最終的な権威ではなく、教会におけるすべての権威の上に聖書の権威を置き、聖書の権威に服すべきであることを主張したのです。