『人はパンだけで・・・ない』と、(旧約聖書に)書いてある。

「聖書の言葉に基づく信仰」という理念は、ルターが言った言葉ですが、それはルターが初めてということではありません。すでに、イエス・キリストに見られます。本日の聖書に「イエスはお答えになった『人はパンだけで生きるものではない。』(マタイ4:4)とありますが、この言葉は、ことわざになっているほどに有名です。インターネットで調べますと(ことわざ辞典)、次のように記されておりました。「これは新約聖書の言葉である。人は物質的な満足だけを目的として生きるものではなく、精神的な満足を得るためにこそ生きるべきである」。
日本文化の価値観の中の一つに「衣食足りて礼節を知る」という言葉があります。人は生活が楽になって初めて礼儀に心を向ける余裕が出来るのだということです。そういう日本の中で「人はパンだけで生きるものではない」と、まるで正反対の価値観を語ると思われることを言いますと、抵抗感を感じる人もいるかもしれません。
「パン」か、「神の言葉」か、という二者択一では無くて、人はパン「だけ」で生きるのではないというのですから、パンも、神の言葉も、両方、必要だと説明する向きもあるかと思われます。
 このマタイ福音書の箇所を良く読みますと、イエス・キリストとサタンが議論している場面で、サタンは自分に従わせようとしてイエス・キリストを説得します。イエス・キリストは、旧約聖書の言葉で応じるという構図になっています。よく読むとイエス・キリスト「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。』と書いてある。」そうイエス・キリストは言うのです。これは、イエス・キリストの言葉というよりも、旧約聖書の言葉を引用しているのです。ある意味では、イエス・キリストもサタンも、議論の前提として、旧約聖書を置いているということですので、私達もこの箇所を理解するためには旧約聖書を理解しなければならないということになると思います。
 そこで、申命記8:3−10をもう一度読みます。
主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この40年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。あなたの神、主はあなたを良い土地に導き入れようとしておられる。それは平野にも山にも川が流れ、泉が湧き、地下水が溢れる土地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、オリーブの木と蜜のある土地である。不自由なくパンを食べることができ、何一つ欠けることのない土地であり、石は鉄を含み、山からは銅が採れる土地である。あなたは食べて満足し、良い土地を与えてくださったことを思って、あなたの神、主をたたえなさい。