キリストの教え

二つの点に注目したいと思います。
第一は「その日の苦労はその日だけで十分である」。
今日のんびりと過ごしなさいと言う意味ではありません。一日の内にはかなりの労苦がある。苦労がある。苦労という言葉を直訳すると「恨みや悪意」という意味で用いられる言葉です。ですからそうなまやさしい苦労ではないということが想像されます。
第二に、「思い悩むな」。
心配するな、心引き裂かれて思い煩うな、と、イエス・キリストは自分の言葉でそう言っているのです。心配事はその日だけにしなさい、と言っているように聞こえます。それはそうです。しかしそれが出来ない。それこそ、それが出来れば苦労がないのです。ストレスがたまる、心が折れる、ということを経験していますので、そうは言われてもそう簡単には出来ないとの気持が起きるのですが、イエス・キリストは視点を変えて見なさいと言います。

26節には「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」

28節には「なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ」。
 
自然を見よ。鳥を見よ。花を見よ。それはある程度、効果があるとは思います。実際、山に登って気分が良いとか、気分転換になったと言う人は少なからずおります。しかしここで大切なことはその根底にある事柄です。