イエス様の歩まれた道

エス様の十字架への道は、確かに神様の示された「苦難の僕としての救い主」でしたが、それはいかに苛酷であり孤独であり耐えがたく、無念であったことでしょう。私達信仰者も、信仰ゆえに理解されず、考え方の違いで責められることがあります。黙って耐えることしかできないと思える時があります。その困難な時こそ、孤独の中を黙って耐えられたイエス様が自分を支え、苦難を共に歩んで下さり心に入って下さいます。心の中に主の姿をますます刻みつけ、今週も聖霊の助けを祈ってまいりましょう。