身代わりの犠牲とあがない

エス様は、恩赦になる「バラバ」のために、身代りに犠牲となられました。それは一人の人間「バラバ」のためだけに限らず、神様を無視して生きる「この世」のことを第一にして「神様を二の次」にして生きる姿勢を変えることの出来ない、罪に捕らわれた私たち人間の為にも、身代わりとして犠牲になられたのです。私たち人間は、神様からいただく「永遠の命」や、神様が人間に下さる神様の愛を軽く考えて、自分の都合の良いように盗もうとしている「大罪」を犯しているからです。
しかし、こんな罪深い人間、人種や身分を越えた全ての人間の罪を贖(あがな)うために、主は十字架にかかられる使命が与えられ、それは父なる神様の御心として決して避けられないことを、イエス様ご自身、とうに知っておられました。今日読んだ旧約聖書「苦難の僕」が御自分の使命であることをイエス様だけはご存知で、すでに預言されていました(10:33)。